日銀 貨幣博物館 企画展「江戸の宝くじ「富」 一攫千金、庶民の夢」

2019年1月23日

ブログ運営の雑記

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たいした用事もなかったので江戸時代の宝くじに関する企画展を開催していたこともあり、日銀の貨幣博物館に行ってみました。貨幣の歴史がわかる博物館です。

日銀 貨幣博物館

予定を決めていたわけではないので、到着したのは3時ぐらい。
遅いと言えば遅いのですが、4時半に閉館することもあり、残念ながら全部見て回れませんでした。

無料で入館できるのであまり期待していなかったのですが想像以上に楽しめました。

大判・小判も展示されているからでしょうか。入り口での荷物チェックは空港のようにカバンを機械に通されます。もちろん館内は撮影禁止。

ちゃんとしてるんだなぁと思いながら階段を上がっていくと、まず目にするのはヤップ島の石貨。画像で見たことある人も多い思いますが、自動車のタイヤより大きかったです。

お金の歴史を振り返る

題名は忘れましたが、入り口の映像コーナーでは、「お金の利点は自分が使いたくなる時までお金を貯めておけること…」といった内容の冒頭から、お金の歴史に関する動画が流れてました。

実際の展示も古代から中世~現代と時系列に沿っていて、所どころに子ども向けの体験コーナーもあるのでファミリーでも楽しめると思います。

■古代~

飛鳥時代の日本では中央集権的な律令国家を目指して、銭貨が発行されるようになります。庶民は偉い人が発行しているので安心だし信用できるから、銭貨を使うようになっていきます。

しかし、銅の産出量が減少すると銭貨がだんだん小さくなり粗悪になっていきます。
10世紀半ば以降になると銭貨は発行されなくなり、それまでお金として使われてきた米、絹や麻の布が、価値も安定していることもあり、銭貨に代わりお金の役割を果たすようになります。

お金の価値がなくなればゴミ(紙くず)になるのは今も同じすね。
「お金」を「お金」だとたらしめる根底は信用なのでしょうか。
館内では実際に古銭も展示されています。見た目でわかるぐらい小さくなってますよ。


■中世~

12世紀半ばになると中国から大量の宋銭が流入し、人々の間で再び銭貨が広まっていきます。
昔の記憶がうっすら残っていたり米や布は測るのが大変なので、銭貨の利用も増え、年貢も銭貨で納めるようになったようです。

米や布、地域の特産品は商品となり経済活動が発展していくにつれ、金持ちの商人が現れ始めます。もちろん商品の流通が拡大するので銭貨の需要も増えます。しかし中国からの銭貨の流入量は減ってしまいます。

そこで私的な銭貨が作られていきます。
模鋳銭・私鋳銭は、その種類や形状によって価値に違いが生まれ、これまでの銭貨1枚=1文という特徴が崩れてしまいます。これに対し銭貨の混乱を避けるため、幕府や大名は撰銭を禁止していきます。

お金は館内に入る前にあった、ヤップ島の石貨であったり、貝、金銀、紙などその時代に合わせて変化していますよね。

現在でも一時のブーム(バブル?)はさりましたが、仮想通貨が発明され、草コインと呼ばれる仮想通貨もできました。お金の根源は「信頼」だとすると仮想通過(暗号資産)は何を信頼するのか。さらに先の時代を見ていきたかったのですが、ここで閉館のチャイムが鳴ってしました。


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■企画展 江戸の宝くじ「富」

もうすぐ閉館のお知らせがあったので、駆け足で企画展を見ました。
今も昔も宝くじは庶民の夢のようです。

江戸時代には、富は富札と同じ番号を書いた木札を突いて、当選番号を決めたことから富突きと呼ばれていたそう。

もともと宗教行事で御守を授与する時の抽選方法で、瀧安寺、鞍馬寺などで行われて方法。ギャンブルとして興行化したので禁令がでたそうですが、番号の選び方として、八卦や夢占い、避けた方がいい日付などがあったとのこと。
今とあまり変わってないですね。

企画展もじっくり見学できなかったし、お金の歴史の続きを見たいので、また貨幣博物館に行きたいと思ってます。(続きはこちら

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